詩集「風は君に属するか」

2010.8.25
角川文庫

宵待歩行

 


「決着」

私は私の人生の中で
あの出来事に決着をつけなければならないし
彼は彼の人生の中で決着をつけなければならない
それぞれの道なのだ

一緒に進まないと決めた時に
課題はそれぞれに残された
相手がどうということではなく
きっと思うことは違うはずで
同じ境地には達し得ない

ひとつの出来事を双方の見方で体験し
それぞれの感覚で受け止めた
それぞれ違う形の傷を自分で癒すしかない
相手にはわかりっこないのだ
私の傷の深さなど

わかりあえない相手に同意を求めるのはやめよう
謝罪も涙も悔恨も 求めて救われるわけじゃない
私たちはそれぞれの人生の中で
あの出来事に決着をつけなければならない

 

「カーテン」

糸の君と
糸の僕
編み目で出会う
動けない

動きたい
ざわざわと布一面を感じる
全員で風にゆれる

糸である全員で
ゆれる

僕の左右の先っぽは君の左右の先っぽから遠い
僕たちは一ヶ所の編み目だけで出会う
そこ以外は他の人と出会ってる
知り合いは多い
でも君だけが実感がある

君に集中して
風にゆれる

 

「すみれの野原」

見わたす限りのすみれの野原
青紫の散らばる中を
力いっぱい駆け抜けた

飛んでいく
飛んでいく
後ろへ
後ろへ
喜びも 悲しみも
彗星のように

折り紙のわっかが垂れ下がるみたいな真っ黒な丸い葉が揺れる木立ちを
どこまでもまっすぐに前だけを見れば 木漏れ日が線になり流れ去っていく

愛という言葉を
簡単に言うなよ

愛という言葉は
簡単に使うなよ

 

「関与する」

僕は君に関与する
ある覚悟を持って

早く知らせよう
躊躇はしない

貴重な時間が飛び去る前に
この言葉を届けよう

僕は君に関与する
ある明晰な意識と共に

 

「糸柳」

糸柳が川沿いに
その糸のような枝に
魚のような葉をつけて風にゆれる

魚が散って
地面を泳ぐ
あっちにもこっちにも

水たまりには
魚たちがかたまる

水たまりで
魚たちが泳ぐ

運命は私たちをどこへ連れて行くのか
生きていけるだけの水があれば
そこで私たちは生きていくわ
それ以上は決して何も望みません
ただふたりで静かに

神さま
地面でなく
水たまりの方に
私たちを落としてください

 

「黄緑色の村」

なだらかなすり鉢状になったそのいちばん低いところに小さな村があった。
遠くから見るとそのあたりはなぜか黄緑色に見えた。
黄緑色の村に僕は住んでいた。
詩を作ってはひとりで丘にのぼって読み上げた。
村にはいろんな人がいた。
牛乳屋さん、大工さん、自転車屋さん、縫い物屋さん…。
僕の村は小さいけれど、美しいと人々は言った。
美しい村に住む僕は、誇り高く生きようと思った。
この美しさに負けないように。
美しい村は美しい星の中にあり、
そこまでは僕は知らなかったけど、美しい星は美しい宇宙の中にあった。

村には四季があり、季節ごとに景色が変わった。
どの季節もそれぞれに素晴らしかった。
寒くて凍える日もあれば、暑くてたまらない日もあり、
生き物は日ごとに形を変え、成長していった。
僕の詩はどんどん増えていき、ノート何冊分にもなった。
あまりにも増えたので、ある夜、外で燃やした。
僕の詩は炎に包まれて、夜空に飛んでいった。
ノートは燃えたけど、言葉は僕の中にあった。
僕の胸の中は広かったから、それでも言葉はすこしもいっぱいにならなかった。
あとからあとから出てきても、あとからあとから消えていった。
小さい言葉のカケラだけが底に落ちた。
それは言葉の断片で、意味などないようだった。
ドロップのカケラのようにいろんな色がついていた。
僕は詩を作り続け、忘れ続けた。
忘れても忘れても、気持ちは言葉を生みだした。
言葉に囲まれ、言葉に導かれ、夜なんか眠った。
言葉はやわらかく僕を包み、甘い夢をみせてくれた。
僕はいつまでも、言葉とともに生きていた。
そんな時、そこがどこだか、もうわからなかった。

 

「私たちの家に帰ろう」

帰ろう
私たちの家に
帰ろう
あの川のそばに

突風が野原を渡り
ガラス窓をたたく
森で生き物がたてる声
それから静寂の時

朝焼けの色
夕方の雨
夜の闇
雪野原

どれもなつかしい
けれどいちばんなつかしいのは
あの家の中にいる私たち
あの家で見るささやかな夢
たくさんの希望とこれからつくられる思い出

帰ろう
なにも心配せずに
私たちの家に

 

「おぎなう」

この手紙を読んだ人が
自分の言葉でおぎなえるように
不完全な形の手紙をだすわ